りゆくもの

 

 

 

 ――それは、冬のある晴れた日。
「祐ー巳ちゃん!」
「ぎゃうっ!」
 まるで、当然のように。
 紅薔薇のつぼみの妹ロサ・キネンシス・アン・ブウトン・プティ・スールこと福沢祐巳に、白薔薇さまロサ・ギガンティアこと佐藤聖は背後からがばっと抱きついた。
 別に珍しい光景ではない。……少なくとも山百合会の面々にとっては。
 問題は、それが人目につく、中庭に面した渡り廊下での一幕だったことだ。

「呆れた」
 背後からの声に振り返った聖は、目を丸くした。
「あれ、二人一緒なんて珍しい」
「あなたったら、普段からあんな真似をしていたのね」
「何のこと?」
 蓉子が言うと、聖は訝るように首をかしげる。
「祐巳ちゃんのことよ」
 と江利子。
「何だ、見てたの」
 予想に反して全く悪びれない様子に、蓉子は「見ていたのはたぶん私達だけじゃないけどね」
 という言葉を呑み込んだ。
 かわりに、ため息をひとつ。
 今日はたまたま、薔薇の館へ向かう途中、江利子と一緒になったのだ。そんな日も時にはある。
 一方聖は、清掃中の後輩に出くわして、いつものようにじゃれ合ってみたらしい。
「てっきり祥子の前でだけやっているのかと思っていたわ。祐巳ちゃんのこと、ずいぶん気に入ってるのね。聖にしては珍しいじゃない」
 江利子の言葉に、ようやく納得した顔になる。
「――子猫とかってさ、見つけると、ついかまいたくならない?」
 唐突な話題の転換。
 しかし、聞いていた二人には、もちろん意味が通じた。
「その例えはちょっと……」
 思わず、という感じで苦笑して、わからなくはないけれど、とは蓉子。
「つまり、聖にとって祐巳ちゃんはゴロンタと同格ってことか」
 したり顔で頷くのは江利子。
「ちょっと違うけど、感じとしては近いかな」
 聖は肩をすくめ、ゆっくりと踵を返す。寒い中、いつまでもこんなところで立ち話をするのはいただけない。
 思えば、三人揃って薔薇の館へというのも、実に久しぶりのことだ。
「祐巳ちゃんって反応いいのよね。祥子抜きでも充分面白い」
「確かにね」
「叫び声なんか、とてもリリアンの生徒とは思えないバリエーションでさ」
 思い出したのか、聖はくくっと笑いを洩らす。実に楽しそうだ。
 ではいつものあれは、祥子のための演出ではなく、本心から楽しんでやっていたわけだ。まさか、彼女にこんな一面があったとは驚きだった。いったい、誰が想像できただろう。
 ――志摩子の存在は大きいにしても。
 祥子のプティ・スールは、思った以上に大物かもしれない、と蓉子は思った。
 が、次の聖の一言に、もっと大きな衝撃を受ける。
「それに、何といっても抱き心地がいいし」
「あら、それ本気だったんだ」
 江利子が愉快そうに笑えば。
「もちろん。それに祐巳ちゃんて小さいから、抱きしめるとちょうどジャストサイズに腕の中に納まるのよね」
 なんてきわどい内容を嬉しげに語る姿は、とても薔薇さまとは思えない。いや、卒業していったお姉さま達を思い浮かべれば、ある意味このうえなく薔薇さまらしいと言えなくもないが。
 複雑な面持ちでこめかみを押さえる蓉子に、江利子がさらにとどめの一言を放った。
「いやーね、聖ったら。その言い草、まるでセクハラ親父よ」
 言い得て妙……というよりむしろそのものずばりだ。
 ――セクハラ親父な佐藤聖。
 蓉子は、くらくらと眩暈を覚えた。
 明るくなるのはいい。むしろそれこそ望んでいたことだ。多少ハメを外そうが、やっとそんな余裕もできたのねと喜べる。
 だが『セクハラ親父』である。
 いくらなんでも飛躍しすぎじゃないだろうか。繊細な硝子細工のような親友を、いつもハラハラしながら見守ってきたのは何だったというのか。
 ――結局私も、聖に幻想を持っていたひとりだったということ? 
 その点、江利子はまったく意に介してないらしい。さすが、だてに幼稚舎からの付き合いではないといったところか。
 頭を抱える蓉子を尻目に、二人はいつになく話が弾んでいるようだった。


  

fin〜


2004/11/03 UP

    

     

 

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