聖し夜の・・・ (前編)

 

 

 

 乃梨子は不思議がっていたけれど。
 お姉さま……佐藤聖さまと私の関係は、最初から一般的な姉妹関係とは、本当にまるで違うものだった。

 ――私達は、同じ孤独という名の闇を抱えて生きていた。
 だからお互い、無防備な状態で出遇ったその瞬間、ひと目でわかった。
 この世に一人きりではない、ということ。この、ともすれば呑み込まれてしまいそうな不安と闘いながら、いつもぎりぎりのところで自分という存在を保っている……自分以外に、そういう人がこんなにも近くにいたのだと。

 それを知った時、どれほど心強く思ったことだろう。


「志摩子。ちょっと時間ある?」
 ――クリスマスパーティーが終わり、かたづけも終えた皆がそれぞれ帰り始めた頃。お姉さまが、そう口にした。
 辺りはすでに薄暗くなっていたけれど、明日からは休みだし、母親にも今日はパーティーだと言ってあるから、少しくらいなら問題ない。
 それで私は、はいと答えた。
「そ。じゃあちょっと私に付き合って」
 最後の方まで残っていた紅薔薇さまロサ・キネンシスが、ちらりとこちらをご覧になったけれど。
「というわけだから、皆さんごきげんよう」
 窓際に座ったままで、
「まった来年ー。よいお年を!」
 お姉さまはひらひらと手を振って見せる。
 何か言いたげだった紅薔薇さまロサ・キネンシスは、ふっと息をつき、扉のところで振り返った祥子さまの背を押した。
「ごきげんよう、二人とも。よいお年を」
「ごきげんよう」
 あまり遅くならないのよ、と念を押して部屋を出て行かれる。

 そうして足音が遠ざかると、お姉さまはテーブルの方へと移動して来られた。
「片づけたところ悪いけど、コーヒー入れてくれるかな」
「……はい」
 コーヒーを入れるのはかまわなかったけれど、その時になってようやく、私はお姉さまの様子がいつもと違うことに気がついた。
「なぜ残されたんだろうって、思っているよね?」
 二人分のインスタントコーヒーを淹れて席に着くと、向かい側に座ったお姉さまが切りだした。
 その通りだったから頷く。
 お姉さまはちょっと目を伏せると、やがてゆっくりとおっしゃった。
「祐巳ちゃんと由乃ちゃんには話したからね。今さらだけど、やっぱり志摩子にも言っておこうと思って」
 ――『いばらの森』の件。
 言われて、私は息を呑む。
(どうしよう)
 お姉さまのお気持ちよりも。

 なんの覚悟もできていない自分に、私は身動きすることもできず、途方に暮れた。


 私は知っていた。
 今年の新入生歓迎会の頃でさえ、思わず手を差しのべたくなるほど、痛々しい様子だったその人を。
 だから、祐巳さんや由乃さんに聞かれた時も、気にならないと答えたのは嘘ではない。触れずに済むなら、そっとしておいてさしあげたかった。
 ――けれど。
 本当は、それだけでもなかったのだ。

(こんなことなら、あの時一緒に残ればよかった)

 一連の騒動が収束したその日。お姉さまは祐巳さんと由乃さんの二人を、事情説明のために残した。私には声がかからなかったけれど、むしろ逆にホッとした。
 それでも、残れと言われたならその覚悟はあったから、意思表示はしてみたけれど。お姉さまは必要ないとおっしゃったので、結局そのまま帰宅した。
 残らずに済んで、正直言って深く安堵していた。

(知る必要を感じないのは本当)
 直接なにを知らなくとも、互いに同じような何かを抱えていると解っていたから。

 ――でも、そのもっと根底にあるものは、『恐れ』だった。

 自分自身のことでさえ持て余しているのに、他人の闇を目の当たりにする勇気などなかった。ましてやそれが、お姉さまが胸の裡深くに秘めていたものなら、なおさらだ。
 この人は自分などよりずっと重いものを背負っている……ずっと、そう感じていた。
 そして自分達は、ある意味であまりにも似過ぎていた。二人とも、いつも危うい均衡の上で、自分を支えている。
 お姉さまの抱く闇がさらけだされた時、私は自分も冷静ではいられないのではないかと……なにかが崩れてしまうのではないかと、恐れていたのだ。

 祐巳さんや由乃さんの前で、そんな姿をさらすのは嫌だった。

 けれど今、お姉さまと二人きりで向かい合って。
 ――二人して、闇に押し流されてしまうのではないかと、恐くてならなかった。


「いやだな。そんな顔しないでよ」
 お姉さまが、珍しく少し困ったようにおっしゃる。私はよほど強ばった表情をしていたらしい。
「大丈夫。ちゃんと冷静に話ができると思ったから、志摩子に言おうとしてるんじゃない」
 気を遣ってくれなくていいよ、とお姉さまは優しく微笑んだ。
(違うんです)
 そうではなくて。ただ自分を信じることができないだけなのだとは、とても言えなかった。
「何から話せばいいのかな。……そういえば志摩子、『いばらの森』は読んだの?」
「いいえ」
 読もうかと、手に取りかけたことは何度かある。だけど結局いつも、買いそびれてしまうのだ。
 あの日。
 いばらの森を書いたのは自分ではない、とお姉さまがはっきりと宣言した時。
「本当にあなたではないのね?」
 と念を押した紅薔薇さまロサ・キネンシス
 あの言葉が、せめて一読すべきかどうか悩んでいた自分に、いっそう手を出しづらくさせた。

 同じことを思い出したらしく、お姉さまがおっしゃる。
「あの時、蓉子が言ったでしょう? 本当にあなたが書いたんじゃないのかって。蓉子とは付き合いも長いし、当時の私の事情も、たぶん彼女が一番詳しいわ。それってつまり。あの本を読んで、蓉子から見ても、明らかに私と似ていたってことだと思わない?」
(ああ、やはり)
 私はぎゅっと手を握り締める。
「だから私は、あなたを残さなかったのよ」
「え?」
 お姉さまの笑みが、自嘲気味なものに変わる。
「たかが少女小説、とは思っていたんだけれどね。蓉子の反応から考えると、ちょっと自分でも読んだ後どんな精神状態になるか予測がつかなかったから。……祐巳ちゃんや由乃ちゃんはともかく、志摩子の前で平気な顔ができるかどうか、自信がなかった」
 思わす目を瞠った。
 言われたことの意味が、ゆっくりと胸に染み込んでくる。
 (それでは、お姉さまも私と同じだったのね)
 本当に、自分達は鏡のように似ている、と改めて思った。

 ――ならば、恐れることなどないのかもしれない。
 お姉さまが大丈夫だと判断したなら、心配することなどないのだろう。


 お姉さまは『いばらの森』のあらすじを簡単に説明したあと、自分にもまた、同じように大切な人がいたのだと教えてくださった。
「祐巳ちゃん達には言わなかったけれどね。私達は、まさにその本と同じように、旅に出ようとしたの。それも、ちょうどクリスマスイブにね」


2004/12/04 UP

    

     

 

SSインデックス | 聖し夜の・・・ (後編) >>



【お買い物なら楽天市場!】 【話題の商品がなんでも揃う!】 【無料掲示板&ブログ】 【レンタルサーバー】
【AT-LINK 専用サーバ・サービス】 【ディックの30日間無利息キャッシング】 【1日5分の英会話】