「あのっ、それ、もともとは俺が持っていたぶんです!」
衝撃からもっとも早く立ち直った祐麒が、あわてて事情を説明する。
「その、ちょっといろいろ事情があって、柏木先輩に譲ったというか……」
とたん、前白薔薇さまが肩をすくめた。
「なんだ、まぎらわしい。おおかた、卑怯な脅しを使って巻き上げたんだろう」
――卑怯な脅しって、いったい何を想像したんだろうか、この人。
「まあ、そんなところでしょうよ」
――ああ、前紅薔薇さままで。先輩って、とことん信用ないよな。当然だけど。
肝心の祥子さんはといえば、ちょっと気が抜けたみたいだった。先輩が、どうしてばらすんだという顔でこちらを見る。
やっぱり、わざとだったようだ。
「それはともかく」
気を取り直したように、祥子さん。
「優さんのおかげで、呼び出しを受けてしまったのよ、私」
「え」
これには、さすがの先輩も驚いたようだ。
「まさかあの人、何か問題を起こしたのかい?」
とてもそんなふうには見えなかったけど、なんて言っている。どうやら、あまりよく知らない相手にチケットを譲ってしまったらしい。
――それはいくらなんでもまずいんじゃないか?
「祥子も、浅慮な従兄弟を持って苦労するわね。よりにもよって、紅薔薇さまが呼び出しを受ける羽目になるなんて」
しゃあしゃあと言ったその人が、現役白薔薇さま時代、自分も学園長室に呼び出しを食らったことなんて、祐麒はもちろん、柏木先輩が知る由もない。
「とりあえず、さっさと婚約解消した方がいいんじゃないの? 祥子」
にべもなく言う前紅薔薇さまに、焦った柏木先輩が抗議する。
「それとこれとは、問題が別だろう。いくら君がさっちゃんのお姉さまだからって、小笠原の事情にまで口を出されるいわれはないよ、蓉子さん」
「なれなれしく名前なんか呼ばないで」
すかさず、ズバッと切り返された。
「……って、前にも言わなかったかしら? 柏木さん」
「相変わらずつれないね、水野さん。一緒にドライブした仲なのに」
――ええっ!!
驚く祐麒とは対照的に、前紅薔薇さまはきわめて冷静だった。
「あなたこそ相変わらずふざけた性格ね。誤解を招くようなまぎらわしい発言はよしてちょうだい」
ひどく不快げな表情。
しかしそこは柏木先輩。並みの男なら一発で縮み上がりそうな冷たい視線にも、びくともしない。
「辛辣だなぁ。そこがまた魅力的ではあるけれど」
「今すぐその口を閉じないと、この場から叩き出すわよ」
あまりの迫力に、さすがにまずいと気づいたらしい。
「わかったよ」
降参、と両手をあげて、祥子さんに向き直る。
「それで? あの人はいったい何をやらかしたんだい?」
お姉さまの鮮やかなお手並みに溜飲が下がったのか、祥子さんは苦笑を浮かべた。
「そうね、結果としては悪くなかったから、今回は特別に許してさしあげるわ」
「何のことだい?」
不思議そうな先輩の問いかけに、しかし答えが返ることはなかった。
「お姉さま!」
ここにいらしたんですね、と駆け込んできたのは、なんと祐巳。
「やあ、祐巳ちゃん。今日も可愛いね」
しょうこりもなく、先輩が愛想を振りまいたとたん。
「また貴様は。祐巳ちゃんには手を出すなと言ったはずだぞ」
「本当に懲りない男ね」
前薔薇さま達からダブルパンチ。
「……ごきげんよう、柏木さん」
一応挨拶は返したものの、その場の異様な雰囲気に祐巳は変な顔をしたが、すぐに気を取り直したように祥子さんの腕をひいた。
「お姉さま、お約束どおり一緒に学園祭を回りましょう」
それから、こちらを振り返って言う。
「蓉子さまと聖さまも、ぜひご一緒に」
誘われた前薔薇さま二人は、打って変わって笑顔で答える。
「じゃあお言葉に甘えて、途中までご一緒させてもらおうか」
「そうね。そうしましょう」
「途中まで?」
祐巳が首を傾げると、二人は顔を見合わせた。
「せっかくの姉妹水入らずを邪魔するほど、野暮じゃないわよ」
「そうそう。私たちは、適当なところで別れてあげるから」
「邪魔だなんて」
何か言いたげな祐巳の肩をポンと叩いて、さあさあ行こうと、前白薔薇さまが歩き出す。
「ちょっと待った。僕は誘ってくれないのかい?」
完全に蚊帳の外に置かれた柏木先輩が、心外そうに言う。本当に懲りない人だ。
「あら、まだいたの」
「せっかく来たんだ。花寺生徒会OBとして、他の後輩達も労いに行ってやればどうだ?」
さしもの先輩も当然ながら、二人からはいい返事を期待していなかったらしい。助けを求めるように見たのは従姉妹である祥子さんだった。
けれど勿論、それではご一緒しましょうなどと言われるはずもなく。
「聖さまのおっしゃるとおりよ。どうぞ優さん、皆さんに声をかけてさしあげてちょうだい」
「そういうこと。どうせ一番に祐麒のところに来たんだろうし」
似た者同士ゆえか、前白薔薇さまはなかなか鋭いところを突く。
しかしこの人、柏木先輩に対する時と他の人とでは、口調まで違う。
――実際、正月に祥子さんの家で会った時も驚いたんだよな。去年の花寺の学園祭で見た時とは、あまりにも印象が違って。
当時、現役の薔薇さまだった彼女は口数も少なく、他の二人と一緒にいても一人だけ違うところを見ているような……うわの空というか、どこか陰のある近寄りがたい雰囲気だった。
――まあ、あの時は、俺も直接話してはいないけどさ。
アリスが「あの方、なんだかとっても痛々しい感じがするの」なんて言っていたのが、記憶に残っている。
それが、正月には柏木先輩と対等に舌戦を繰り広げ、果ては……。
諸事情で、女性三人と続き部屋の和室で眠った夜。隣から、なにやらゴソゴソいう音がしたかと思うと、きわめつけに、
「お姉さま、助けて!」
という祐巳の声。
白薔薇さまが、という言葉にチッと舌打ちした先輩に続いて、あわてて襖を開けたなら。
煌々とした灯りの下、両手を挙げる白薔薇さまと、乱れた蒲団から覗く、よれよれになった祐巳の姿。祥子さんは、ちょうど電気をつけに立ち上がったところだったらしい。
――いったいあの時、何があったのか。
なんとなく切り出しづらく、いまだに姉に真相を聞くことはできていない。
「もう君のお姉ちゃんをからかったりしないから、安心しておやすみ」
と言ったあの人の様子が、あまりにもよく見知った人に似ている気がして。以来、どうも彼女のことは少し苦手だ。
「みんな、つれないなあ」
はっ、と物思いから我にかえって、祐麒は不満げな先輩の肩を押す。
「皆さんの言うとおり。ここは先輩、ひとつ顔見せをしてくださいよ。あいつら、泣いて喜びますよ」
「ユキチは泣いて喜んでくれないのかい?」
「どこからそういう発想が出てくるんだか。あいにく俺はまだまだやることがあるんで、あいつらのところへは一人で行ってください」
反論の隙を与えず、くるりと踵を返す。
折よく、舞台衣装を回収に来たリリアン手芸部の生徒と出くわした。
「お疲れさまです! 舞台成功、おめでとうございます」
花寺側代表として、祐麒は笑顔で答える。
「ありがとう。そちらこそ、大変お疲れさまでした」
まさに天の助け。
とりあえず、ぶじにその場を切り抜けて、祐麒は今度こそ安堵の息をついたのだった。
2004/11/03 UP
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