――そして当日。思ったよりずっと快適なドライブの末、祐巳は池上弓子さん宅に到着した。
「じゃ、祐巳ちゃん先に行ってて」
そう言って、聖さまは車を発進させる。近くに停められる場所があるらしい。
ここに来るのも、もう四度目。祐巳は勝手知ったるなんとやらで足を進めた。すると、
「いらっしゃい」
母屋に至る前に、加東さんが出迎えてくれた。
「ごきげんよう」
反射的に挨拶を返したものの、思わず首を傾げてしまう。
(あれっ、どうして?)
顔に出ていたのか、加東さんがクスッと微笑った。
「着く時間はだいたいわかっていたから、待っていたのよ」
言われてみれば、確かに。約束の時間に合わせて迎えに来てもらったのだから、別に不思議なことではないのだけれど。
加東さんは歩きながら説明してくれる。
「今日はちょっと、弓子さんの具合があまりよくなくてね。弓子さん、今ちょうど眠ったところなの。祐巳ちゃんのことだから、まずは母屋へ挨拶に行くだろうと思ったから、先回りというかね」
「弓子さん、ご病気なんですか?」
「そこまでのことじゃないのよ。この頃暑いから、ちょっと暑気あたりみたいな感じかな。あとで私が様子を見に行くから、起きていたらあらためて会いに行けばいいわ。弓子さん、祐巳ちゃんが来るのを楽しみにしていたし」
「はいっ」
(よかった)
とりあえず加東さんの口ぶりでは、それほど心配することもなさそうだ。弓子さんに持病があるとは聞いていないけれど、なにしろご高齢だし、ついよけいな気を回してしまう。
「どうぞ」
「お邪魔します」
いつ来ても、本当に気持ちのいい和室だ。勧められるまま座布団に座ると、台所へ向かった加東さんが、グラスに冷えた麦茶を入れて戻ってきた。
「あ、すみません」
ぺこりと頭を下げて、祐巳は持参した紙袋を差し出す。
「これ、お土産です。弓子さんの分もあるんですけど、一緒に冷蔵庫に入れてもらっておいていいですか?」
「あいかわらず律儀ね。誰かさんとは大違い」
「誰かさんって、私のこと?」
言いながら上がってきたのは、もちろん聖さま。
「あなた以外に誰がいるのよ」
「つれないなあ。私達、友達じゃない」
(一緒にレポートするくらいだし、仲良くなったんだよね? 聖さまと加東さん)
聞けばレポートは、祐巳が来るからと、午前中に済ませたのだそうだ。
お二人の様子は、充分気心の知れた友人同士に見える。
しかしそこは聖さま。ひと月前、加東さんがどこの誰とも……というか、実は名前さえ覚えていない相手だったにもかかわらず、傍からはすごく親しげに見えたくらいだから、祐巳には今イチ見当がつかなかった。
「祐巳ちゃん、聞いてくれる? 佐藤さんったら学校に近いからって、うちに入り浸っているのよ」
「えっ」
「まあまあ。固いことは言いっこなし」
ため息交じりの加東さんの言葉にも、聖さまはどこ吹く風。
「知らない間に、ちゃっかり弓子さんにも気に入られているし」
それはそうだろう、と祐巳は思った。
(あれだけのエスコートぶりを発揮されれば、誰だって)
案の定、加東さんがお留守の時も、聖さまは母屋で弓子さんと談笑していたりするらしい。
その聖さまは、耳にかかる髪をうるさそうにかきあげる。
「それよりさ」
祐巳ちゃん、今日は何か話したいことがあって来たんじゃないの? と訊かれて、祐巳はちょっと驚いた。
やっぱり、この人は何でもお見通しなのだ。
「そう。そんなことがあったの」
「……はい。あの時は本当に助かりました」
――あの日、祐巳がどうして雨で濡れ鼠になっていたのか。それにその原因であるお姉さまとのすれ違いもぶじ解消したことを、祐巳は手短に説明した。別に言わなくてもお二人は気にしないかもしれないけれど、お世話になった以上、やっぱりきちんと報告しておきたかったのだ。
「よかったわね」
「はいっ」
それにしても、と加東さんが言う。
「リリアンって、本当に独特よね。山百合会、だっけ? その辺りも驚いたけれど、姉妹制度なんて初めて聞いたわ」
乃梨子ちゃんも言っていたけれど。世間一般からすると、リリアン女学園はかなり変わっているらしい。そう言われても、幼稚舎からずっとリリアンの祐巳にはあまり実感はないのだけれど。
姉妹制度のことは小さい頃から知っていたし、中等部に上がると、身内が高等部に通っている子達なんかから山百合会メンバーの情報が入ってきたりもして、自然にまだ見ぬお姉さまへの憧れが膨らんだりするもので。
それにうちは、お母さんもリリアンの卒業生。当然、違和感などかけらも感じたことはなかった。
「そういえば。祐巳ちゃんのお友達で、佐藤さんの妹って、どんな子なの?」
聖さまはそういうところ、全然話してくれないらしい。
加東さんの質問に、祐巳はできるだけ判りやすくと思って、一生懸命考えて答えた。
「すごく綺麗で……あの、髪の毛なんかちょっと茶色くてふわふわで。お人形みたいな感じで。頭もよくて優しくて。しっかりしていて、皆の憧れの白薔薇さまです」
「ふうん。いるのね、そういう子って」
加東さんは、意外そうに聖さまに目を向ける。そんな子がどうしてこの人の妹なのかしら、と思っているのが見て取れた。
確かに、聖さまの日頃の親父仕様を見慣れてしまうと、そういう感想を持つのは無理もない。でも。
「聖さまも、すごく人気の薔薇さまだったんですよ」
とたんに、それまで知らぬ存ぜぬを決め込んでいた聖さまが、うんざりしたように言う。
「よしてよ祐巳ちゃん。私の場合、山百合会メンバーっていうだけで憧れられていたようなもんでしょ」
――己を知らないって、本当に恐ろしい。
前薔薇さまは、お三方ともそれぞれタイプは違えど、そろって頭脳明晰スポーツ万能、おまけに見目も麗しく、それぞれ甲乙つけがたい人気を博していらしたのだ。
蓉子さまや江利子さまは自覚がお有りだった節もあるけれど、聖さまはあくまで自分は白薔薇さまの称号に拠るものだったと信じているらしい。なんとなく水掛け論になりそうなので、一応それ以上のコメントは控えたけれど。
それからしばらくして、起きてきた弓子さんを囲んで、母屋で皆でお茶をした。
本当に楽しいひと時だった。
――そして。
加東さんと弓子さんに見送られ、池上家を後にして。
帰りの車内でちょっとしたことが起こったのだ。
2005/01/04 UP
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