それは、帰りの車内。祐巳は思い切って、気になっていたことを聖さまに尋いてみた。
「あの」
「んー?」
さすがに、柏木さんとは違って脇見をしない。
声をかけたものの、なかなか切り出さない祐巳に、聖さまはまっすぐ前を見たまま言った。
「なに、どうしたの?」
「……志摩子さんとは会ったりしていらっしゃいますか?」
「志摩子? いや、会っていないけど」
また何かあったわけ? と返されて、あわてて首を横に振る。
「いえっ。そうじゃなくて」
ああやっぱりって祐巳は思う。なんとなくそうかなと思っていたけど、今の口ぶりからして、志摩子さんとは全く会っていないらしい。
「おや、ご不満?」
少し面白がっているような口調で、聖さま。
――だって。
(同じリリアンにいるのに)
祐巳とはこうして何だかんだと顔を合わせているのに、どうしてって思う。
それを口にすると、聖さまはちょっと笑った。
「だって祐巳ちゃんは、自分から大学まで相談に来たり、泣きついたりしてきたじゃない」
(……いや。それを言われると言葉もありませんが)
祐巳が黙ってしまったので、聖さまはフォローのつもりか、
「言ったでしょ? 卒業したら、私の意思は必要ないって」
つまりはそういうこと、と言う。
ズキン、と胸が痛くなった。
「それって、卒業したら、もう姉妹じゃなくなるからですか?」
聖さまは一瞬目を瞠り、ちらりと祐巳を流し見た。
「……なるほどね」
そして溜め息をひとつ。
「祐巳ちゃんが何を尋きたいかわかったよ」
(え?)
ちょっと待って、と言って車を走らせ、やがてパーキングの表示をみつけると、聖さまはそこで停車した。シートベルトを外し、本格的に話をする体勢になって、こちらへ向き直る。
「祐巳ちゃん、祥子の卒業後の心配しているでしょ」
「!」
どうしてわかったんだろう。
「やっぱりね。仲直りしたところで、何でそっちに気が行くかな」
さすがに呆れられたよう。
本当に、自分でもどうしてこうなんだろうって思う。祥子さまとすれ違っていた時は、妹でいられるだけでいいと思ったはずなのに。ひとつ叶うと、また次を望んでしまう。
(私って欲ばりだ)
自分で自分が情けなくなってうつむいた。
すると聖さまの手が伸びてきて、祐巳の頭を優しく撫でる。その手を後頭部へ回し、聖さまは祐巳の顔を自分の方へ向かせた。
「べつに責めているんじゃないよ」
浮かびかけてた涙に気づいたのか、そっと目もとを拭われる。
「これも前に言ったけれど、どっちも受身だと、いつまで経ってもそのままだよ」
聖さまはよしよしと祐巳の髪を撫で、優しく言った。
「私と志摩子の関係と、君達の関係が同じじゃなければいけないわけじゃないでしょう。姉妹の在り方は色々なんだし」
「でも。卒業したら頼っちゃいけないって……」
それはたぶん、どの姉妹でも同じなのではないだろうか。暗黙の了解というか、不文律みたいなもので。
「そりゃ当然。学校でのことは当事者が自力で何とかすべきだもの」
(やっぱり)
「でも、個人的な付き合いを続けるかどうかは、それぞれの自由だから」
聖さまはちょっと微笑む。
「それこそ、私と祐巳ちゃんはこうやって会ったりしているんだし、卒業したからって、絶縁したわけでもなんでもないじゃない」
「でも、志摩子さんとは」
「うん、そうだね。……確かにわざわざ会ったりはしないけれど、絶対会わないって決めているとかでもないよ。ただ、私がいない状況に慣れるっていうことが、あの子には必要だと思うから」
(そうなんだよね)
卒業したら、お姉さまに頼ってはいけない。だから距離を取る。それって、色々言っても、結局は会っちゃいけないってことなんだ。
またそこで暗くなる、と聖さまが祐巳のほっぺをつついた。
「だからそれは私達の話でしょう。祥子と祐巳ちゃんが個人的に仲良くするかどうかは、別の問題」
「そうかもしれないけど……でも、お姉さまの進路が」
「祥子、遠方の大学受けるの?」
「いえっ! その、そうだったらどうしよう、とか……」
言いながら、尻つぼみになる。
聖さまはああ、そういうことか、と言って髪をかき上げた。
「祥子の進路を訊きたくても訊けない。それでひとり色々考えちゃって、悶々としているわけだ」
(おっしゃるとおりで)
「ほーんと、祥子相手だととことん弱気だなぁ」
聖さまの言葉に、祐巳はふたたび膝に目を落とした。
「だって……」
だって好きだから。祐巳はお姉さまが大好きで、だけどその気持ち以外、何も持ってはいないから。
姉妹でなくなれば、小笠原グループのお嬢様である祥子さまとの接点なんて、きっとなくなってしまう。
リリアン女子大に進学されるなら、お姿を見ることくらいはできるかもしれないけれど。でも……。
聖さまが溜め息をついた。
「私には言えるのに、肝心の本人に言わないでどうするの」
それは。
(聖さまが……優しいから)
直接会わなくても、聖さまは志摩子さんを気にかけて、時々様子を見に来たりしている。だからこそ、それなら会えばいいのになんて、祐巳なんかは思ってしまうけれど、それがきっと今の二人のスタンスなんだ。
祐巳も本当は知っていた。六月のあの日も、聖さまは志摩子さんを待っていて、だけどそこで瞳子ちゃんと歩く祥子さまを見てしまったから。
それでわざわざ祐巳に声をかけてくれたのだ。傘に入れてもらったお礼だなんて言って、話を聞いてくれようとした。志摩子さんを、ひと目見たかったはずなのに。
本当に、すごく優しい。この人の優しさに、祐巳はいつだって甘えてばかりだ。
そうしてうつむいていたら、ふいに聖さまの声がした。
「そんなにつらいなら……祥子なんかやめて、私にしておく?」
(えっ!?)
びっくりして顔を上げると、いつの間にか身を乗り出した聖さまのお顔が、すぐ傍にあった。
2005/01/08 UP
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