それは、唐突な問いかけだった。
「志摩子さんとは、会ったりしているんですか?」
ためらいがちに切り出された言葉は、ちょっと意外なもので。
会っていないと答えたあとで、私は逆に尋き返した。
「また何かあったわけ?」
「いえっ。そうじゃなくて」
そうだよね。だってあの子は散々いろいろあった末、長年抱え込んできた秘密から解放され……めでたく妹まで得たばかり。
でも祐巳ちゃんは何か言いたげだ。
「おや、ご不満?」
「不満っていうか……。ただ、私はこうしてけっこう聖さまとお会いしているのに、どうして志摩子さんとは会わないのかなって」
ふむ、君がそれを言うかな。
「だって祐巳ちゃんは、自分から大学まで相談に来たり、泣きついたりしてきたじゃない」
すると祐巳ちゃんはピタッと黙りこんだ。てっきり、それとこれとは別です! とでも返してくるかと思ったのに。
私の言い方が、少し意地悪だったかもしれない。
「言ったでしょ? 卒業したら私の意思は必要ないって。つまりはそういうこと」
一応付け足すと、祐巳ちゃんはますます暗い声でこう言った。
「卒業したら、もう姉妹じゃなくなるからですか?」
その只ごとではない口調に横目で見やれば、今にも泣き出しそうな顔。
「……なるほどね」
思わず、溜め息が漏れる。
「祐巳ちゃんが何を尋きたいかわかったよ」
考えてみれば、この子がここまで深刻になる原因なんて、いつだってひとつだ。
この前の時は一歩引いたけど、今度はちゃんと話を聞いた方がいいかもしれない。あんなふうに泣くのを見るくらいなら、おせっかいを焼いた方がましだ。
私はパーキングの表示をみつけると、そこで車を停めた。
さらっと流すつもりはなかったから、シートベルトを外し、彼女の方へ向き直る。
「祥子の卒業後の心配しているでしょ」
「!」
案の定、祐巳ちゃんは息を呑んだ。
「……やっぱりね。仲直りしたところで、何でそっちに気が行くかな」
まぁ、気持ちはわからなくもないけれど。志摩子も、私の卒業前はずいぶん不安定だったし。
だけど、祐巳ちゃんの場合はたぶんちょっと違う。おそらくは……後遺症。
本人に自覚がなくても、祐巳ちゃんの受けた傷は、きっと根が深い。一度失う痛みを知った心は、ちょっとしたことで過敏になって、すぐに怯えてしまう。
私はうつむく祐巳ちゃんの頭を撫でると、そのまま後頭部へ手を回し、こちらを向かせた。思った通り、その目はすでに涙で潤んでいる。こぼれ落ちそうになっていた滴を、指先で拭った。
「べつに責めているんじゃないよ」
そう。憶病になったって、落ち込むことなんかない。どのみち、お姉さまを持つリリアンの生徒なら、誰もが通る道なのだから。
かく言う私だって、祐巳ちゃんとは種類が違うものの、お姉さまがいなくなったらどうなってしまうのかと、本当にすごく不安だった。
今なら、大丈夫、何とかなるものだと判っているけど、それは通り過ぎたからこそ言えることで。祐巳ちゃんにとっては、適切なアドバイスとは言えない。
とにかく落ち着かせることが先決だと思って、髪を撫でてみる。
「これも前に言ったけれど、どっちも受身だと、いつまで経ってもそのままだよ」
祥子にもひとこと言ってやりたいところだけど、人間関係においては、本当は祐巳ちゃんの方がぶっちぎりでリードしていると思うし。
祐巳ちゃん自身は自分が祥子にふさわしくないと思っているようだけど、私を含め、蓉子でさえ、見限られることがあるとすれば、むしろ祥子の方だろうと見解が一致している。
私達は、あの子がどれほど精神的に不器用で、意外と他人の心の機微に疎いか、よく知っていた。それは、育った環境とか様々な要素のためで、決して彼女自身のせいじゃないけれど。
……ああ、それと。
「私と志摩子の関係と、君たちの関係が同じじゃなければいけないわけじゃないでしょう。姉妹の在り方は色々なんだし」
一番肝心なのはやっぱりここでしょう。
祐巳ちゃんは、根本的にサンプルにする対象を間違えている。私と志摩子は、例えるなら互いを映す鏡みたいな存在だから、近づきすぎてはいけないのだ。
まぁ、一般的な姉妹関係でも、べったりし過ぎるのはどうかと思うけれど。でも祐巳ちゃん達の場合は、遠慮が過ぎて、どうもそれ以前っていう気がするんだよね。
私は宥めたりすかしたり、色々言ってみたけれど、どうにも反応は芳しくなかった。
そしてなぜか、話題は必ず、私と志摩子のことに戻ってきてしまう。
「だからそれは私達の話でしょう。祥子と祐巳ちゃんが個人的に仲良くするかどうかは別の問題」
「そうかもしれないけど……でも、お姉さまの進路が」
言ってから、祐巳ちゃんはなぜかしまったという顔をした。
「祥子、遠方の大学受けるの?」
「いえっ! その、そうだったらどうしよう、とか……」
だんだん小声になる祐巳ちゃんを見ながら、考えを巡らせる。
祥子はなんといっても生粋のお嬢様。普通に考えて、そのままリリアンの大学に進ませそうなものだと思うけれど。それで卒業後は親の決めたまま結婚……なんていうパターンが一番ありそうだ。ただ、そうなると相手は柏木っていうことになるし、祥子としてもそれはさすがに不本意だろうから、自力で何とかしなきゃならないだろう。
そこではたと思い当たった。
「ああ、そうか」
もうひとつ、留学という道もあるのを忘れていた。祐巳ちゃんが心配しているのも、その辺りかもしれない。
「祥子の進路を訊きたくても訊けない。それでひとりで色々考えちゃって、悶々としているわけだ」
そう言うと、祐巳ちゃんは目に見えて狼狽えた。どうやら、図星だったらしい。
「ほーんと、祥子相手だと、とことん弱気だなぁ」
「だって……」
花が萎れるように、ふたたびうつむいてしまう。
(おっと)
まずい。また話の持って行きかたを間違えたか?
「私には言えるのに、肝心の本人に言わないでどうするの」
苦笑混じりに言っても、祐巳ちゃんはもう顔を上げようともしなかった。うな垂れた肩が痛々しい。
(まいったな)
もともと、私もあんまり祥子のことを言えた義理じゃなく、他人に対してけっこう無神経……というか、わりと最近まで関心すらなかったクチだから、どうも上手くない。
こういうことがあるたび、今さらながらに蓉子の気持ちが解る気がする。
人のことっていうのは、注意深く観察しさえすれば、かなり客観的に分析できる。まして人一倍目端の利く蓉子からすれば、昔の私なんて、危なっかしくてとても見ていられなかったに違いない。当時の私は彼女を煙たく思っていたけれど、どう思われても、放っておけないことはあるわけで。
(さて、どうする?)
とりあえず声をかけようと身を乗り出したものの、何と言えばいいのか、さっぱり思い浮かばない。
――だって結局、祐巳ちゃんが望んでいるのは祥子からの言葉だから。何を言おうと、しょせん私の声は、彼女の心に届きはしないのだ。
(そう、私の声は届かない)
ふいに、ジリッ……と、胸の奥が焦げつくような気がした。
「そんなにつらいなら……祥子なんかやめて、私にしておく?」
気づくと、自分でも信じられないようなことを口走っていた。瞬間、祐巳ちゃんの顔がぱっと跳ね上がる。
その、驚愕の表情。
……答えなんか、聞かなくたって知っていた。どうせあっさりNOと言われるか、こんな時にからかわないでくださいと怒られるのが関の山だ。私自身、衝動的に口をついて出た台詞だから、フォローのしようもない。
(本当に私ときたら、どうしようもない)
絶望的な気分に、私は苦い思いを味わった。
2005/01/23 UP
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